自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

第2部■自死で家族を亡くした経験から伝えたいこと

NPO法人全国自死遺族総合支援センター   
事務局長 南部 節子   

皆さんこんにちは。今も先生という紹介がありまして、どこでもどうしても先生と呼ばれると、何かこそばゆいというか、私何か教えるとか、専門家でもありませんし、研究者でもありません。ただのおばさんで、現場の人間です。

皆さんと一緒に考えてみたいと思っています。皆さんに配りものが多いとですね、読んでいただけないと思って、このパワーポイントは印刷しておりません。どうして夫が亡くなっていたかという、これを見て頂けるとだいたいの経歴というか、どういうふうに亡くなっていったかというのが分かります。
この写真も彼、北海道大学で、家族と一緒に旅行に行ったんですね。得意げにすごく案内してくれて、最後の日は雨が降ってしまいまして、クラークさんの銅像の前で撮りました。やっぱり、今考えれば寡黙な人で、あんまり笑わなかったんです。

故 南部攻−氏 2004 年2 月享年58 歳

皆で、これは少し笑っているということでこの写真にしたんですけれども、歯が欠けているんですよ、この前歯。この頃から彼チョッと身体に出て、うつ病って、身体が先に病んで精神が病むのか、精神が先で身体が病むのか、それは私分からないんですが、この頃から歯が抜けたり、胃が痛かったり、身体がチョッといろいろ。でも病院に行かないんです。 そういう状態でした。ですから、実物はもうチョッといい男。そういうことです。今日は「自死で家族を亡くした経験から伝えたいこと」というテーマでお話をしたいと思っています。思っていることを全部しゃべったら何日もかかると思います。ということで、お聞きください。

私達、全国自死遺族総合支援センター、先程篠原先生も舌をかみそうになっておられましたが、とても言いにくい。言いにくいので、“グリーフサポートリンク”という名前を副称で付けました。言いやすいかなということですね。
そして「全国自死遺族総合支援センターって全国にあるんですか」って言われちゃう。
「いいえ、東京に事務所があるだけです」と。私達は全国にあるいろんな活動をしている団体とか、自死遺族とかの人達を繋ぐ役です。ですから、支店とか、支所とかいうのはありません。

私達は大切な人を、自死で亡くした人を、痛み、心の痛み、身体の痛み、ありますよね。
そういう方々と向き合いながら互いに繋ぎあって、支えあって、共に歩んでいく。そんなことが当たり前にできる社会づくりが私達の希望です。そして、今私達は東北の震災の分かち合いの方もやっております。ということで活動しています。

先程、篠原先生にすごくいいように言っていただいたんですが、皆さんなかなか知っていただいてないんですよね。電話相談などをやり、ホームページにもいっぱい載せて広報しているつもりなんですが、なかなか見て頂けない。年配の方はパソコンをなさらないし、「全国自死遺族総合支援センターのことを全然知りませんでした」と。
「10年も抱えたままでいました」と相談を受けたりしますので、「何とか少し宣伝してもらおう」ということで参りました。それで、私達の活動は今言いましたように全国にいろんな団体があります。それの繋ぎ役です。
(ホームページ http://www.izoku-center.or.jp にアクセスしてください。)

先程鈴木先生も仰いましたが、最近子供のことがすごく気になっています。

遺族、親だけではありません。夫を亡くした私、子供がいます。子供が成人していましたから。でも今、自殺する年代が30代、40代が多くて、残される子供が小さい。そして第一発見者がすごく多い。子供達は近所に親戚もいるんだけれど、小さいながらに胸に持ったまま生活しているんです。でも、学校に行けば、先生がちゃんと守ってくれるのかというと、それもないんです。ある保護者の方は先生に知っておいてほしいと言いに行かれたところ、「すいません。そういう重い話はやめて下さい」言われちゃったと。「エッ、じゃあどこに行けばいいの」、ということになりますよね。偉そうですが、今私は本当に教育から変えないといけないなと思っています。

それで今、聖路加病院のご協力を得て、すごく良いとこなんですが、ここに親御さんと子供さんと一緒に来ていただいて、子供さん達は遊びながら鈴木先生にも一緒に可愛がっていただいています。一方で親だけの分かち合いをしています。ひょっとしたら、親御さんは無理に子供を連れて来られたんじゃないかと思ったりしたのですが、お聞きするとやっぱり子供さんの方が「毎月カレンダーに聖路加って書いている、子供が行きたいと言うから来ました」と仰っていました。良かったなと思っています。
子供は遊びを通して分かち合いで遊んでいる時にポンと「うちのお父さん、こういうふうに亡くなっちゃったんだよ。ここに来ている子は皆お父さんがいないんだよね」そういう話をポロッとしてくれて、そ の辺でチョッと分かち合ってくれたらいいのかなと思っています。

これは皆さんもうご存知ですよね。ずっと1998年から3万人越しています。私、このこと全然知りませんでした。自殺は自分のこととはほど遠い、全く無関係の話と思っていましたし、3万人以上自殺者がいるっていうことを知りませんでした。昨年は27,766人。減りました。まあいろんな対策、方法が良かったのかなと思いましたけれど。私はそれだけの問題ではないと思っています。もっと、もっと本当は半分以下になったらチョッとはね、と思うかも分かりません。まだまだ毎日のように人身事故ありますよね。今駅にはホームドアがいっぱいできている、良かったなと思いますがお金がかかるらしいですよね。

これはご存知ですよね。やっぱり1 位、2 位、7 位ぐらいまではロシアとか、先程言われたフィンランドとか、舌を噛みそうなリトアニアとか・・・、暗くて北方の方が多いようですが、先進7ヵ国では断然日本。やっぱり切腹の歴史というか、文化があるというのが一因かなというふうな気がします。

自殺対策の経緯

 1988 年年間自殺者がはじめて3 万人を超える。(1997 年の24,391 人から32,863 人へ急増)
 1999 年WHO が、自殺予防のための国際的な取組を開始。
 2000 年小冊子『自殺って言えない』発行。
大学生遺児が中心になり、親を自殺で亡くしたつらい胸のうちを、
社会に対して明かす。 反響は非常に大きく、13 万部が配布される。
 2001 年10 人の自死意地が、小泉首相(当時)に「自殺対策の必要性」を訴え、陳情。
 2002 年厚生労働省「自殺防止対策有識者懇談会」を発足。
 2003 年WHO が毎年9 月10 日を「世界自殺防止デー」と定める。
 2005 年 5月ライフリンクが第2 回「自殺対策シンポジウム」を開催。
尾辻厚生労働大臣(当時)は政府として真剣に取り組むとの約束。
 2006 年 4 月自殺対策法制化を求める3 万人署名運動を全国23 民間団体が参加して展開。
     〜6 月10 万1,055 人の署名が集まった。
 2006 年 6 月自殺対策基本法成立。
 2007 年 6 月自殺総合対策大綱決定。
 2013 年 8 月自殺総合対策大綱大幅な見直しが行われた。

私が全く知らなかった1998年から自殺者が3万人になりました。ある程度の流れをチョッと皆さんに知っていただきたいなと思いましたので、参考にして下さい。

そして2000年にあしながの子達が「自殺と言えない」という冊子を出し、「自殺と言えなかった」という本を出しました。読まれましたか。私も夫が亡くなって初めて手にしました。知りませんでした。それで彼達が顔を出し、インタビューにも答えて、小泉首相に「何とか社会問題としてやってほしい」と訴えに行きましたが、小泉さんは「君達の気持 ちは分かる。だけどこれは個人の問題だから」と言われてしまったんですね、当時は。

そして、厚労省の自殺防止対策有識者懇談会も発足しました。私全く知りませんでした。
WHOの世界自殺予防デーが定められました。私が「何で9月10日、この日に決まったんですか」と聞いたら、いろんな何やらデーとか記念日があって、10日が空いていたというふうに聞きました。

2005年の5月、私が初めてデビューした日です。ライフリンクの清水さんとお会いして、何故か、私、死んだお父さんが出会わせてくれたような気がしました。私、それこそ宗教家でもないんですが、そういう不思議なことがいっぱいありました。そして「厚労省でこういうシンポジウムするけれど、南部さん、体験談話してくれないかな」と言われまして、ここで初めて話をしました。

2004年に夫を亡くして、これが2005年。1 年後だったんです。でも、「こんなのしゃべれるかしら」と思ったんです。今皆さん信じられないと思われるかもしれませんが、私その昔、人前に出たら震えていたんです。声も震え、もう嫌で、嫌で、仕方なかったんです。人前でやること。清水さんに言われて「どうしよう。清水さん、何の話をしたらい いんですか。すいません、原稿下さい」って言ったんですよ。そしたら「いいえ、すみません、僕も忙しいし。南部さんの思うことそのまま話して下さい」と言われて、え〜って思いました。その時、厚労省の尾辻さん(尾辻秀久厚生労働大臣)が目の前にいらっしゃって、話をして泣くまいと思ったんですけども、もう泣きながらしゃべってしまいました。

それがまた、上手くしゃべれたんです。もう不思議なこと、お父さんが付いててくれていたんだなという気がしました。
それであれよ、あれよと自殺対策基本法が成立しました。新宿にも立ち、署名を集めました。3万人集めようと思っていたらなんとふたを開ければ10万1千人いくらかが集まり、そして政府に提出しました。そして、私達はライフリンクに2009年まで、ライフリンクにいたんですが、その後自死遺族支援という部門だけ別個にしようということで、NP O法人を立ち上げました。でも事務所も何も一緒です、親子関係のままで。

私には全くまさかの夫の死なんです、本当に。日本人はだいたい死という言葉を家庭の中であまり出しませんよね。私、家族がなんというんでしょう、今になって夫とか、子供とかと死ということについてもっと話しておけば良かったと後悔しています。夫は本当に疲れていて、「お父さん死なないでね」って言いたかったんです。ここまででかけてたんです が、“死”ということを言えなかったのを記憶しています。夫は58歳の人生をここで終わってしまいましたけれども、私は自死遺族として始まりになってしまいました。

今チョッと自殺、自死という言葉、はっきり言って私どっちでもいいと思っています。
私自身も「自死で亡くしました」「自殺で亡くしました」両方言っています。そして、自死対策っていうのかな、自死防止っていうのかな、自死未遂っていうのかな、とチョッと不思議だなと思っています。

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