自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

第1部■自死遺族に寄り添う“グリーフ&モーニング”

東京福祉大学・大学院   
教授 鈴木 康明   

改めまして、こんにちは。今ご紹介いただきました鈴木でございます。
何卒よろしくお願いいたします。
私はこういった形で南部さんとご一緒に皆さんとお会いすることが増えてまいりました。
その時必ず申し上げることは「私はただの露払いでございます。南部さんの話が中心ですので、心してっていうのは本当に失礼かもしれないけれど受け止めていただくために、私でよろしければ、多少の理論的なものをご紹介申し上げます」とこんなふうにいつも考えて皆さんとお会いしてございます。
本日は、約1 時間という時間をいただきました。沢山考えていきたいことがございます。時間を考えましたので、的を絞って、散漫にならないよう、なお且つこれから続く南部さんのお話に役立つようなそういうお話をしていきたいと思っております。私はいろんなことを言い出しますので、たたき台が必要です。皆さんのお手元の資料をどうぞご覧になりつつ、それから画面は、ほぼ一緒なんですけれども、チョッと微妙なニュアンスのものを併せてお見せします。

それでは、早速ですが、貴重なお時間でございますので、本題に入りたいと思います。

自己紹介を簡単に。私は心理学の教授として死別ケアというお話をいたします。ただもう少し補足が必要かな。実は私、教育からの領域に入っています。教育とはどういうことかと言いますと“Death and Grief Education”日本語では「死と悲しみから学ぶいのちの教育」ということですね。私は大学は三つ目ですけれど、最初、東京外国語大学において始 めたことがきっかけとなっています。どういう学生がこのような講座を必要としているか、現実にこのような講義を受ける中でどういうことが起きてくるのか、放置してはいけない問題がここからが生じてきました。すなわち、「死別に対する悲しみ」への関わりですね。
そこで私は提案いたしました。「もし私でよろしければ、お話を聞かせていただきたい」。
ですから、最初は大学ベースですね。これがいつしか社会と繋がり、現在にと、こんな形をとっております。その後、国士舘大学時代に、実は犯罪被害者の方との出会いがございました。少しずれてしまいますが、2000年の12月31日に東京の世田谷で起きたことです。私の国士舘大学の研究室が世田谷にございました。それを契機に遺族ケア、死別 ケアときて、少し特化せざるを得ないということで、自死とそして犯罪とつながり、現在に至っております。

今回はですね、その大きなテーマの自死遺族支援ということですので、そちらの方を中心にいきたいと思います。

予習編

先ず予習編になります。この領域にハウツーはないと思っております。ただですね、「いや、そんなことを言わないで、もうちょっと何かないんですか」と言われた時に、自分への気づきが大切です、とします。繰り返して申します。死別ケアに技術的なことがあるとは思えない。でも、もしあるとしたらと仮定します。

さて、資料の方お手元に届いていると思いますので、ちょっと見ていただきましょう。
先程もご紹介しました自殺対策基本法でございます。大変ありがたい法律でございます。

ただですね、第1 条があまりに有名なためにここに私達が魅かれてしまいます。
例えば、自殺者の“親族”という言葉が初めて入ってまいりましたね。まあ、私は浅薄な人間です。全ての知識、教養があるとはとうてい思えませんが、少なくとも法律の文言の中に、“遺族、親族”に関わるというのもがある。これはすごいことではないかと思う。ですから、あまりにも第1 条が私達にとっては衝撃でした。親族等に関わることが大切、でもですね、もうひとつございます。

※参考 自殺対策基本法
第一条
・・・自殺対策を総合的に推進して、自殺の防止を図りあわせて自殺者の親族等に対する支援の充実を図り、もって国民が健康で生きがいを持って暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とする。

第二条
自殺対策は、自殺が個人的な問題としてのみとらえられるべきものではなく、その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえ、社会的な取組として実施されなければならない。

それが第2条になります。
見て下さい。第1 条も大切です。第2条もさらに大切ではないか、読みます。「自殺対策は自殺が個人的な問題としてのみ捉えられるべきものではない」。どういうことでしょうか。
続けます。「その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえて、社会的な取り組みとして実施されなければだめなんです」。言い切りました。

2006年でございます。誤解というかですね、偏見というかですね、こういう言い方。「死にたいから死んだ」でしょうか。私はですね、死にたいから死ぬ人はいないと思っております。じゃあ何故死ぬのか、それは「死ぬしかない」と思い込む。これでやっと楽になれると思い込んでしまったとすると、それは勝手に死んだんだろうかな。この辺は私達の理解ですよね、どう捉えていったらいいのか。そこでですね、はっきりと言い切りました。個人的な問題としてのみ捉えるのではだめなんです。社会的な課題なんです。

この文言に出会った時ふと築地本願寺を思いました。そこには交通事故の死者を弔う慰霊碑がございます。ありがたいですね。ではですね、何年かかってここまで来たかですよ。

ちなみに、昨年交通事故で亡くなられた方はどの位いらっしゃいますか。私達頑張っている訳ですよ。“交通事故防止キャンペーン”子供達には安全教育を。でも、お酒を飲んで運転する不埒なものは絶えないですよね。まだまだやることはありますが、少なくとも、1万人を割るところまで来ましたし、本願寺に行きますと慰霊碑もありますし、じゃあ今回 のテーマでございます自死はどうなっていますか。

自死はまだまだですね。これからのテーマ、もっと、もっとです。そういう意味ではですね、第1 条が大事です。第2条も大事です。これをご紹介申し上げて本題にいこうと思いますね。


“社会の健康”を目指して

こういう場が設定されたということは“社会の健康”を目指してということであろうと。
健康とは一体何なんだろうか。WHOあたりは相当細かいことを言ってきますけれど、もっと私、素朴でいいのではないかと思うんですね。これ私の癖なんです。どうしたら訳の分からない難しいことを簡単にストレートに使えていけるか、いつも悩んでいます。役人と違って私のような人間はおそらく難しいことを難しくいうことが好きなんだと思います。
それを得意なんだと。でもそれでは伝わらないと思いますので、私は“健康”をこうやって考えています。

先ず、“周囲との安定した良い関係”これを目指すことである。もしくは、これができることである。
二つ目。何のために生きているのかを考えてみた時に、誰かのために役立っている自分ということがある。併せて“いきがい感”ですよ。

ちなみに、統計的にはですね、自殺大国と呼ばれていた国が二つございました。皆さんご存知でしょうか。ひとつはフィンランドです。二つ目はハンガリーです。理由は分かりません。多かった事実はぬぐえない。ところがですね、近々のデータを見ますと、フィンランドはワースト10 から抜けているんですね。何故なんだろうか。大変私達も関心のあるところです。

現在日本はどういう取り組みをしているか。言うまでもない。“うつ病対策”を一生懸命やっています。これはとても大事です。繰り返して申すまでもないと思うんですよ。うつ病の方と、死の関係を考えた時に、先ずうつ病対策が優先するのは当たり前かもしれません。

※参考
これからのメンタルヘルス

・対象は? 社会全体
・目的は? 予防と開発
・時間は?未来へ
・視点は? 長所の伸長
 →ネットワーク、チームアプローチ、
  人材活用第一条

けれどもフィンランドは“いきがい対策”なんです。国のプロジェクトとしてのいきがい感。
一体何なんだろうか、どういうことをしているのか。今個人的にも非常に関心を持って“いきがい”ということを考えていきたいし、おそらく健康度ということではこのいきがい感がひとつ見えてくる事柄ではないかなと思ってお ります。

それから1 枚めくっていただきましょう。
メンタルヘルスという言葉を使うんですよ。これも難しいことは沢山あろうかと。でも素朴でいいでしょう。
これまでの反省を踏まえてですね、例えばですね、何か関わりって言いますと 個人が対象ですね。でもそれもいいですけれども、併せて社会全体を見るような、併せて目的もそうです。

私、今日のタイトル“死別ケア”これを出しましたね。ということはですね、私の視点、主眼は“治療”なんです。治療という言い方、ふさわしくないですね。
元に戻すということがベースになってくる。でも、大変単純に考えた時に起きないに越したことはないだろう。これは視点としては予防と開発になっていくと。でも、チョッと怖いなと思うこともありますよ。子ども達に自殺予防教育なんて言ってしまっていいんだろうか。どうするつもりなんだろうか。するなとは申し上げてはおりません。慎重にやって いきたい。
だからその願いを込めて治療的な関与も大事ですが、もっと今捉えていることは起きないようにどうするかではないか、ということですね。臨床心理学はやはり治療的な行為がどうしても中心になってしまうけれども、治療も大事、でも予防と開発もっと大事。どうぞこの辺もですねこれからの関わりといった時に起きないようにどうしようか。

おそらく今日のテーマはこれかなと思っております。

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