自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

第3部■質疑並びにディスカッション

コーディネーター:篠原 鋭一   
討論者:鈴木 康明   
南部 節子   

篠原 : お二人のご講義をお拝聴いたしまして、大変分かりやすく、何かいろいろと疑問に思っておりましたことが、頭の中ですっと整理をすることができたというふうに私自身は感じました。
これよりどうぞ皆さん、先生方のお話の中でお聞きになりたいことがございましたら、どうぞ遠慮なく手を挙げていただきましたら、マイクを回しますので、お願いをいたします。どうぞ、どなたかいらっしゃいますか。ハイ、どうぞ。

質問 : 本日は貴重な時間をどうもありがとうございました。福井県から参りました。自死遺族の会、アルメニアの会が発足して約4年近くなっております。
私、個人的に申しますと、バブル崩壊後、平成9年2月16日に夫を自死で亡くしました。当時建設業をおこなって、2代目でして、バブル崩壊後、零細企業は仕事が上手くいかない、仕事をいただいても赤字になるというふうになってきました。そういった中で拓殖銀行が崩壊に至ってから自殺者が増えていって、うちの夫が亡くなった時は2万人に達していなかったんですが、そういったことで、私遺族となりました。

その後本当に辛んどい思いをして来て、今回南部さんのお話を聞いても、非常に思い当たることがあったり、また私は舅、姑と生活していましたし、夫が亡くなったのは40歳で、女の子が二人いまして、5年生、中一です。まさに思春期の盛んな時期で、そういった大変な状況もありました。現在17年が経過していますが、変わったこともあれば、変わらないものもあるし、変える必要のないものもあるなっていうようなことでした。

今回私がここに参りましたのは、平成9年に夫を亡くして、辛いので、こういった人達が沢山いるんだなという時に、やっぱりものをしゃべるというこういった場所が必要というようなことで、地元でチョッと活動を始めて、動き始めるまでに5年かかっているんです。
自分の気持ちが回復してきているなって感じたのは5年後です。ですから、平成14年。それもチョッと仕事の関係で、全国大会で事例発表しないといけないということがあって、私を語る時には、自死した夫のことを語らずして私は語れないと、仕事のことも語れない、ということで初めて話したんですけど、当初自殺と いうことはそれほど取り上げられなかった。
自殺対策基本法が通ってからかなり取り上げられるようになり、その時の動きって必死になっていたってことがあると思うんですね。社会全体が何とか3万人減らしたいとか、これ良くないとか。ところが広がったことによって、当時のとっても大事なものを失しかけているような、そんな社会の風潮を非常に感じて、私は今いるんですね。遺族会の方々とおしゃべりしていても、なんかチョッと非常に危険な流れの中に流されていくようなそんなことを感じて、今とっても大事な時期じゃないかな。自殺対策に対してそんなことを思ったんで、改めてここに来て先生方のお話を聞かせていただこうと思った次第です。

お聴きしたいのは、先ず社会の仕組み。地縁、血縁、宗教は非常に大事で、行きつくところは、社会の仕組みを変えないとだめだなというようなことです。とくに私、学校現場にいまして、たまたまカウンセラーの資格を持っていたんで最初幼稚園の教諭をしたんです。教諭をしていて、夫が亡くなって子供を育てなければならないと思って、必死に3年間やってきました。
私の人生これでいいのかなと考えた時に、幼稚園の教諭を退職して、1年フリーでいたんですけど、根が貧乏性なので、じっとしていられない。その時にカウンセラーの資格を持っていたので、小学校、中学校にカウンセラーとして入ったんです。いろんな子供達に出会いました。不登校とか。それでひとりの子との出会いを通して「私の夫は自殺したんですけど」というような話になっちゃったんですよ。
そしたら、その子が第一発見者だったんですね。私がそれを言ったことで、彼女もリラックスしたんですよ。でまあ、その子と付き合うようになったんですけど、こういった子供達の支援、先程先生も仰られましたが、全く行き届いていない。学校は喪中で欠席する、忌中ですね、忌引きですね、それも把握しているはずなんですよ。だから、多少のことは入るんだけど、先生方もどうしたらいいか分からないというようなことで、子供達のケアというものを具体的にこれからどういうふうにしていったらいいかということが1点。

それから、社会の仕組みのハード面。これは私もそうなんですけども、遺族年金、年金問題は沈静化しているので、いろんな課題が社会の中にあると思うんです。うちは自営業でした。自営業なので従事者は厚生年金ではなく国民年金でした。それで子供が18歳になるまでは遺族年金が出ておりました。うちも遺族年金、妻の私の分と子供二人の分を頂いていました。私の人生設計では私の年金がいただけるまで夫の遺族年金をもらえるものとして人生設計してました。
今の日本は国民年金の場合は、子供が18歳の3月に達したら、妻の、親の年金も切られちゃうんです。自分の年金をいただくまで数年あったので人生設計が狂っちゃったんです。
高度成長期には、自営業はとっても豊かだったんです。だから当然自営業の人達は国民年金を掛けていても財産を持っているだろうというようなことで、こういった年金制度がつくられてやってきたんですが、今現在自営業は本当に大変な時代なんですね。こうした中で、自営業の方の遺族年金は子供が18歳になると切られてしまう。厚生年金は自分が年金をもらうまでは夫の遺族年金をいただけるというようなことです。

これは何とか声を上げないといけないかなと。私の場合も子供が18歳になって遺族年金が切れちゃったのでとっても大変でした。丁度その頃になると子供が上の大学に行く時期になっちゃうので大変でした。こういったことも社会の仕組みの中で、何か手だてがあればと言うようなこと。以上2点お伺いしたいと思います。

南部 : なかなか社会の仕組みを変えるって大変なことですね。ある人に生き心地の良い社会をと言ったんです。そしたら「生き心地の良い社会なんかになる訳ない」と言われました。確かにね、そういうふうになるには百年かかるかもしれないって言われました。
でも、ひとつずつ細々とでもやっていかないといけないと私は思っています。
具体的にどうやっていけばいいかと言うことですが、やっぱりライフリンクとかと繋がりながら、今繋がっていますよね。
今は繋がりながら、相談しながらという程度ぐらいしか、「私はできます」とは言えません。勿論考えて、私達の仲間ともこれをどういうふうにして変えていけばいいか。議員連盟の人に相談するとか、ということもありますので、一朝一夕というようにはいかないと思いますが、やっていきたいと思います。

鈴木 : 今南部さんは二つ目の方の問いにお答えになりましたので、じゃあ、私はひとつ目のことで。すごく大事な点だと思うのですけれど、二つ考えられますね。誰をどのようにするかということです。
先ず、そのどのようにと考えてみた時に、当然先ほど申し上げたように治療的な関わりですよね。死別で悲しんでいる子どもに対して、どう関わっていくのか。これ治療的な関わりだけです。同じぐらい、それ以外の子も含めて起きないようにですね、予防的な関わり、やっぱり子ども達は命に非常に敏感なところだから、起きてしまった子どもに対しては、当然治療的に関わってくる。それ以外の子達にはどうしたら起きないかというところも含めて、予防的な関わりを・・・。これまさに教育だと思うんですね。
ただ、日本の教育のひとつの欠点て言っては言い過ぎかもしれないけれども、できるだけ触れないように、なかったように。でも現実起きる訳だから。別に子ども達を脅かす訳ではありませんけども、やっぱり死のこととか、悲しみのことは伝えて共有していいと思います。

それではもう一点。もっと私心掛けているのは、関わる側の問題なんですね。南部さんの側からも発言が出ているけども、教師が逃げてしまう。自分のクラスで起きたことから、逃げてしまって、如何いう逃げ方をしていくか。「いや、それは専門ではないから」。
こういう問題はスクールカウンセラーに渡す前に、私は、あなたが専門家なんです、子どもにとってあなたこそが専門家なんですよ、こういう生命の問題に関して専門家はいないと思います。皆専門家なんです。とくに教師のあなたが専門家なんです。だから子どもに関わるものをどう育てていくかですよ。ケアラーのケアを如何するか。ギバーを如何、育てるかということで、今私は、ここ千葉ですから申し上げれると思うんだけれども、船橋の教育委員会で毎年私は教員研修でこれを伝えているんです。これは船橋の教育委員会の依頼で、子ども達に関わっている教師にグリーフケア、グリーフカウンセリング、グリーフエデュケーションを教えてくれと。手間かかるかもしれませんけれども、関わっている人、関わろうとするのに対して伝えていくことだと思う。

そうするとすごい手間が掛かります。実際に子供に対する関わりと関わっている教師達に対する関わり両方やっていかなければいけない。本当にやりがいのあることだと思いますので細々と始めました。
先ず、ここまでお答えします。



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